「あの業務、あの人に任せきりで大丈夫かな」。経営者や管理職なら、一度は抱く不安だと思います。
- 「この案件は受ける、これは断る」。受注の線引きは、ベテランの“感覚”の中にあります。同じ判断を、他の人はできません。
- 発注する数量とタイミング。担当者の「勘」と「経験」で決まっています。本人がいなくなれば、誰も発注できません。
- 「まあ、なんとなく多めに」「たぶん、これで大丈夫」。そうやって、日々の判断が回っています。
前回、「あの人しか分からない」業務を見える化する5つの手順をお話ししました(「あの人しか分からない」をなくす──AIを使った業務の見える化、5つの手順)。録音して、文字に起こして、流れを図にする。本人以外がたどれる状態にする話です。
今回は、その先に進みます。図にすると、必ず残るものがあります。四角(作業)でも、矢印(順番)でもない、ひし形(判断)です。ここが、属人化の一番深いところであり、一番やっかいなところでもあります。
「標準化しましょう」で、なぜ止まるのか
「判断を標準化しよう」「基準をマニュアルにしよう」。正論です。誰でも言えます。
でも、たいてい止まります。理由は一つ。勘は、言葉になっていないからです。
長くその業務を回してきた人は、判断を「速く」しています。いちいち考えず、見た瞬間に決める。これは能力です。ただし、速くなった代わりに、「何を見て、どう決めているか」が本人の中でも言葉から消えている。だから「どうやって決めてるんですか?」と聞いても、「うーん、経験ですね」としか返ってきません。
嘘をついているのではありません。本当に、言葉にできないのです。ここを分からずに「マニュアルを書いてください」と頼むから、止まります。
正直に言うと、「属人化なんて、なくならないよ」という声もあります。きれいごとだ、理想論だ、と。実際、私の周りにも、そう考える人はいます。その気持ちも、分かります。だからこそ、全部をなくそうとはしません。前回も書いたとおり、属人化には「なくすべきもの」と「守るべきもの」があります。狙うのは、誰でもできるはずの作業や判断が、一人に偏っている状態をほどくこと。名人の勘まで、無理に平らにする話ではありません。
勘の正体は、「見ている情報」と「分岐」
では、どうやって言葉にするか。コツは、勘を「何を見て」「どうなったら、どうする」に分解することです。
前回、こんな話をしました。AIに手順を整理させたとき、「通常は」「念のため」「経験で判断する」といった言葉が出てきたら、それは"判断の基準がまだ言葉になっていない"サインだと。今回は、そのサインを見つけたあと、どう掘るかの話です。
聞き方には順番があります。いきなり「基準は?」と聞かない。代わりに、直近の実例を1件、そのまま再現してもらいます。
- 「この前、発注したときのことを教えてください。何を見て、いくつ頼みましたか?」
- 「その数字は、何と何を比べて決めましたか?」
- 「もし在庫がその倍あったら、同じ数を頼みましたか?」
こうやって、具体的な1件から「見ている情報」を引き出す。「在庫が◯個を切っていた」「先月の出方が多かった」——本人が無意識に見ていた数字が、ここで初めて表に出ます。
そして、「例外」を必ず聞きます。「いつもと違う判断をするのは、どんなときですか?」。ここに、勘の本体が隠れています。通常パターンは意外と単純で、その人の価値は「例外をどうさばくか」にあることが多いからです。
ただし、ここで一つ立ち止まります。そもそも、なぜその業務は属人化したのか。多くの場合、イレギュラー(例外)が続く運用になっているからです。毎回ちがう、決まった型がない。だから、その場で判断できる人しか回せなくなります。
もし、業務のほとんどが例外で、勘でさばくしかない——そんな状態なら、基準を引き出す前に、考え直すことがあります。「なぜ、毎回イレギュラーになるのか」を問い直すのです。受け方や仕様そのものを見直して、例外を減らし、決まった流れ(レギュラー業務)に乗せられないかを先に考える。基準の翻訳は、その次です。全部が勘のままでは、翻訳のしようがありませんから。
実際にやってみた──「なんとなく発注」を、基準に変えた話
一つ、私が実際に整理したケースをお話しします。
調達と、納品の調整をしている業務でした。担当者は、はっきりしたルールも指示書もないまま、日々の発注をこなしていました。よく話を聞いて、流れを紐解いてみると——発注する数量もタイミングも、本人の「勘」と「過去の経験」で決めていたのです。
本人の中では、ちゃんと回っています。でも、その人がいなくなれば、途端に誰も発注できません。しかも「なんとなく多めに」「たぶん大丈夫」という判断が続くと、在庫の持ちすぎや、逆に欠品といったリスクもついて回ります。
そこで、こう進めました。まず、本人に「何を見て決めているか」を聞き取ります。在庫の水準、直近の出方、納期——本人が無意識に見ている情報を、できるだけ拾います。
次が肝心です。集めた情報をもとに、こちらでしばらく、発注量を"仮に計算するロジック"を組んでみます。たとえば「在庫がこの水準を下回ったら、平常時の出方をもとにこれだけ発注する」といった形です。そして、そのロジックが出す数字と、本人がふだん出している数字を、しばらく突き合わせます。ほぼ同じ数字に着地するなら、勘がロジックとして言葉になった、ということです。逆に、数字がずれる箇所には、本人だけが見ている情報が隠れています。そこは一つずつ、本人と確かめていきます。話しながら本人が「あ、自分はこれを見て決めていたんですね」と、少し驚いていたのが印象に残っています。
問題なさそうだと分かったら、そのロジックを、本人に渡します。ただし、渡し方が肝心です。ロジックそのものは書き出して、誰でも見られる場所に置きます。本人の頭の中に戻すわけではありません。そのうえで、本人を、その基準の"持ち主"にします。基準を変えたくなったら、勝手に変えず、周りに共有する。そういうルールにしました。こうすれば、他の人もたどれる状態は保ったまま、本人が改善を引っ張る役になります。
こうすると、どうなるか。本人の責任範囲は、変わりません。むしろ「このロジックの持ち主は自分だ」という形になります。見える化はできて、他の人もたどれるのに、本人のポジションは奪われない。それどころか、勘で抱え込んでいた頃より、業務を前に進めやすくなります。
私が一番大事にしているのは、最後は本人に任せる、ということです。途中は一緒に考えます。AIを使って、規則性を見つけさせることもあります。でも、最後の一線は、本人に握ってもらう。翻訳するのは、取り上げるためではありません。渡して、任せる。ここを外すと、どれだけ正しい基準を作っても、人は心を開いてくれません。
本当の壁は、技術ではなく「人の気持ち」
ここまで読んで、「聞けば教えてくれるでしょ」と思ったかもしれません。ところが、一番の壁は技術ではありません。人の気持ちです。
判断の基準を出すことに、身構える人がいます。理由は、たいてい一つ。「ノウハウを出したら、自分の立場が弱くなる」という不安です。
考えてみれば当然です。「あの人しか分からない」から、その人は必要とされてきました。それを全部言葉にして渡したら、自分は要らなくなるのでは——そう感じる人がいて、まったくおかしくありません。これが、抵抗の正体です。ノウハウを抱えているのは、意地悪だからではないのです。
だから、詰め寄ってはいけません。やることは、逆です。
- 「あなたを置き換えるためではない」と、最初にはっきり伝える。目的は、あなたが休んでも会社が困らないようにすること。あなたが安心して休めるようにすること。
- 相手を「改善される対象」にしない。「あなたが、この業務を良くする当事者です」という立場をつくる。
- 約束を守って、信頼を積む。「聞いたことを、評価には使わない」と言ったら、絶対に使わない。
- 最後は、本人に任せる。一緒に基準を作っても、その基準の持ち主は本人。取り上げるのではなく、渡す。さきほどの発注ロジックを本人に管理してもらったのは、まさにこのためです。これが、不安への一番の答えになります。
これは、今のAIが最も苦手とする部分です。抵抗する人の事情を受け止めて、信頼をつくる。AIは答えの候補は出せても、責任の主体にはなれません。ここだけは、人が向き合うしかない部分です。単純作業がAIで肩代わりされるほど、この「人と向き合う仕事」の比重は、むしろ増していきます。
AIに、任せていいところ
とはいえ、AIが役に立つ場面もあります。線引きは、こうです。
▼ AIに任せられる
- 文字起こしした会話から、判断していそうな箇所を抜き出す
- 「この条件のとき、どうする?」という確認質問のたたき台を作る
- 出てきた基準を、表や条件分岐の形に整える
▼ 人にしかできない
- 「何を見て決めているか」を、本人から引き出す
- 抵抗する人と、信頼をつくる
- その基準が本当に正しいか、現場で確かめる
ポイントは前回と同じです。AIの出力を正解として扱わないこと。AIは、語られていない基準をもっともらしく埋めてしまいます。「たぶん在庫を見て決めている」とAIが書いても、それが事実とは限りません。最後は必ず、本人に確かめます。
基準にすると、その先が見えてくる
勘が基準に変わると、次が見えます。
「この水準を下回ったら発注」と決まれば、どこで在庫が過剰になりやすいかが分かります。「この条件なら受けてよい」と決まれば、どの案件が割に合っていないかが見えます。つまり、基準を言葉にした瞬間に、リスクと改善点が浮かび上がるのです。
見えたリスクを洗い出し、「この確認は二重だから片方は消せる」「この判断は今の道具なら自動にできる」と改善案に落とす——ここが、私が本業でやっている仕事です。この「基準を決めたあと、どう自動化と保守に乗せるか」は、また次の記事で詳しくお話しします。
Q&A
Q. 本人が「経験です」としか言わないときは?
A. 抽象的な質問をやめて、直近の実例を1件、再現してもらいます。「この前はどう決めましたか」「何と何を比べましたか」と、具体を積み上げると、無意識に見ていた情報が表に出ます。
Q. ノウハウを出し渋る人には、どう接すればいいですか?
A. 「置き換えるためではない」と最初に伝え、評価には使わないと約束し、それを守ります。本人を「改善の当事者」にすることが何より効きます。詰め寄ると、逆に閉じてしまいます。
Q. 勘を基準にすると、質が落ちませんか?
A. 落とさないのがコツです。勘は正しかったものとして扱い、それを言葉と数字に「翻訳」します。無理に平らにならすと質が落ちるので、まずは基準を言葉にして、他の人にも渡せる形にすることを目指します。
Q. 業務のほとんどが例外で、毎回ちがう場合は?
A. その場合は、基準を引き出す前に「なぜ毎回イレギュラーになるのか」を問い直します。属人化は、例外が続く運用から生まれることが多いからです。受け方や仕様そのものを見直し、決まった流れに乗せられる部分を増やすのが先。全部が勘のままでは、翻訳のしようがありません。
Q. AIが整理した基準は、そのまま使っていいですか?
A. いいえ。AIは語られていない基準をもっともらしく埋めます。「発言にない内容は推測しない」と指示し、最後は必ず本人に確認してください。
おわりに
「あの人しか分からない」の一番深いところは、作業ではなく判断です。そして判断を言葉にする最大の壁は、技術ではなく、それを手放したくない人の気持ちにあります。
まずは、直近の1件を再現してもらうところから、社内で試してみてください。「何を見て、どう決めたか」。それを一つ言葉にできたら、大きな一歩です。
ただ、「本人が身構えて、こじれてしまった」「基準は出たけれど、リスクや改善まで見きれない」——そこで止まったら、その部分だけ外の人間を頼るという手もあります。社内の力関係と切り離して、担当者を責めずに整理を進めるのは、外部の作り手が得意とするところです。社内の人が聞くと「評価される」「仕事を奪われる」と警戒される場面でも、利害のない第三者だと、かえって本音が出てくることがあります。
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