「他の子もできない、みんな同じですよ」

この言葉を、何度か言われました。

先生から。支援の場で。面談の席で。

悪意はないと、わかっています。
励ましのつもりで言ってくれているのも、わかっています。

でも、そのたびに、少しだけ息が詰まる。

なぜ苦しいのかを、ずっとうまく説明できませんでした。

ある夜、支援目標シートに向かいながら、やっと言葉にできた気がしました。
「同じじゃない」のではなく、「同じになるために、本人がどれだけがんばって踏ん張っているのか、わかってもらえていない」んだ、と。

次女のこと

うちには発達凸凹の子どもが2人います。

長女は小学6年生。次女は小学2年生。

2人ともASDの診断を受けていますが、特性はまったく違います。
今日は、次女の話をします。

次女には、感覚過敏があります。
音・触覚・味に対して、とても敏感な子です。

食事の話をすると、赤ちゃんのころから食べ物を口から出すことが続いていました。
繊維感のあるもの、予測できない食感のものを、体が受け付けない。
保育園の先生が「もやし一本食べました!」と報告してくれたとき、その一本の重さを、私はうまく言葉にできませんでした。

そして、食事と同じか、それ以上に彼女を苦しめているのが「音を聞くこと」です。

「聞こえる」と「聞き取れる」は別のことです。

次女は耳が悪いわけではありません。

音は聞こえています。
むしろ、聞こえすぎるくらい聞こえています。

でも、「聞こえる」と「聞き取れる」は、別のことなんです。

これ、最初は私も正直よくわかっていませんでした。
専門用語で言うと「APD(聴覚情報処理障害)」と呼ばれる状態に近いのですが、簡単に言うとこういうことです。

耳は正常に機能している。
でも、脳が「音の情報を整理するステップ」でつまずいている。

私たちが音を「聞く」という行為には、実は複数のステップがあります。

まず、周りのさまざまな音の中から「今聞くべき音」を選び出す。
次に、聞こえた音を正しく言葉に変換する。
そしてようやく、意味として理解する。
さらにそれを、声にして返す。

定型発達の人はこれを無意識にやっています。
脳が自動的にやってくれる処理です。

でも、次女にはそれが自動化されていない。

「全部の音が、同じくらいの音量で飛び込んでくる」

専門家が教えてくれた表現を借りれば、そういうことです。
カクテルパーティーの喧騒の中でも一人の声だけが聞こえてくる、という脳の機能が弱い。
すべての音が「フラットに」聞こえてしまう。

だから、会話ひとつを「聞き取る」ために、彼女はものすごいエネルギーを使っています。

言い間違いが起きる理由

次女は、言い間違いもよくあります。

「すごい」→「つごい」
「かけっこ」→「たけっの」
「伸びてる」→「ぼびてる」

小さいころはかわいかった。
でも、学年が上がるにつれて、本人が傷つく場面が増えてきました。

「何言ってるかわからない」

友達にそう言われて、黙り込んで帰ってきた日があります。

言い間違いが起きる理由にも、専門的な背景があります。
「音韻認識」といって、言葉がどういう音の組み合わせでできているかを正確に把握する力。
次女はこれが弱い。

「かけっこ」は「か・け・っ・こ」という4つの音でできている、というような認識が、難しい。
だから、聞こえた音をそのまま口で再現しようとすると、少しずれてしまう。

1週間の記録

去年の秋、担任の先生からこんな連絡をもらいました。

火曜日。特別支援教室の授業で、先生が寸劇を始めるときの合図の手拍子が大きすぎて、「耳が痛い」と言った。

木曜日。朝の全校集会で、体育館のマイク音が大きすぎて、途中でいられなくなった。1人だけ職員室で読書をして待っていた。

翌週の火曜日。体育の授業で、膝下ほどの高さの障害物を跳ぶ練習をした。4回転倒した。両肘と両膝から出血した。手を出せないまま倒れる転び方だった。

同じ週の水曜日。図工の授業でクラッカーを鳴らした。「音が怖かった、耳が痛い」と言って帰ってきた。

木曜日。音楽の鍵盤ハーモニカの実技テスト。不合格になった。

これが、1週間の出来事です。

先生は丁寧に、一つひとつ連絡をくれました。
それを読みながら、私は「あのとき」を思っていました。
全部知らずに、毎朝ランドセルを背負って玄関を出て行っていた次女の後ろ姿を。

1週間に、こんなにあったんだ。
知らなかっただけで、ずっとこういう日々が続いていたんだ、と。

常に120%で、ふんばっている

春、学校の支援目標を決める時期がきました。

「次女さんの目標を一緒に考えましょう」と、特別支援教室の先生から書類が届きます。

今年はどう書こうか。

毎年、目標を書くたびに感じる、もどかしさがありました。
「聞き取る力を伸ばしてほしい」「発音の練習を続けてほしい」
そういう言葉を書くたびに、何か大切なことが抜け落ちている気がしていた。

そのとき、以前に療育の先生から言われた言葉を思い出しました。

「次女ちゃんのがんばりって、学校の先生には見えていないと思うんです。このことをちゃんと伝えないと、同じ土台で比べられてしまいます」

「120%」という言葉も、そのときに教えてもらったキーワードです。

言われたとき、ハッとしました。
見えていないのは、先生が悪いわけじゃない。
伝えていなかった側にも、責任がある。

今年は、そのことを正面から書いてみました。

聞こえてる音から聞くべき音を選ぶことや、発音すべき音を選ぶことが上手くできません。他の子は10%も頑張る必要なく無意識にできるそれらを、聞き分けるため、また発音すべき音を選ぶため、120%で頑張っても、他の10%できる子たちより、まだまだ上手くいかずにいることを理解してほしいです。

「他の子もできない、みんな同じですよ」とよく言われますが、他の子も服薬しているなら納得できますが、その時の気分でできる能力があるのにやらない選択をしている子とは同じではないことを理解した上で、支援すべき子どもを選択してほしいです。

書き終えて、「やっと言えた」と思いました。

「みんな同じですよ」が苦しい理由は、悪意があるからではないと思います。
見えていないものがあるからではないかと思われます。

他の子は50%や80%の力で「普通に」こなしていることを、次女は常に120%を出してやっている。
毎日、毎時間、ふんばりながら。
それが「同じ」と言われることの、重さです。

知った上で言われる「同じ」と、知らずに言われる「同じ」では、まったく違う。

保育園で積み重ねてきたこと

保育園のころ、STの先生(言語聴覚士)と一緒に発音の練習をしていました。

口を動かす運動、文章の組み立て方。
「言い間違いはわざとではなく、脳の処理のクセ」という言葉が、私をずいぶん楽にしてくれました。

もうひとつ、大きかったのが「ひらがな」でした。

保育園でひらがなを本格的に勉強することは、あまりありません。
でも、次女は音だけで言葉を捉えようとすると、うまく掴めない。
文字(視覚)と音を結びつけると、ずっとはっきり覚えられる。
そういう特性があることがわかってきて、早めにひらがなを勉強し始めました。

その紐づけが早まったことが、発音の改善にもつながったように感じています。

「びかん」が「みかん」になった日のことを、今でも覚えています。
そのときの顔を、きっと忘れないと思います。

小学校に上がってからは、STの授業はありません。
でも、あのころの積み重ねは、確実に残っています。

学校に、できるだけ多くを伝える

次女が少しでも行きやすくなるために、私が一番意識してきたことがあります。

学校の担任の先生、通級(特別支援教室)の先生、療育の先生——それぞれに、できるだけ多くの情報を渡すことです。

「こういう場面でこういう困り方をする」「先週こんなことがあった」「最近これが特に苦手になっている」。
伝えれば、先生たちが動きやすくなる。
動きやすくなれば、次女の環境が少し変わる。

たとえば今は、大きな音が予想される授業ではイヤーマフの使用を許可してもらっています。
集会や体育館では、端の席か出口近くを選べるように事前に確認しています。
口頭の指示だけでなく、黒板に書いてもらったりメモを渡してもらったりすることもお願いしています。

どれも、伝えなければ始まらなかったことです。

言い間違いへの対応も、先生たちと共有しています。
「違う!」と訂正するのではなく、正しい言い方でそのまま返す。
「たけっのが楽しかった」と言ったら、「そっか、かけっこ楽しかったんだね」と自然に返すだけ。
本人の話す意欲を削がないことが、一番大事だということを。

完璧には伝わらないし、全部が変わるわけでもない。
でも、渡さなければ確実に伝わらない。
だから、渡し続けています。

次女は今日もがんばっています

次女は今日も学校に行きました。

他の子が半分の力でできることを、120%でふんばりながら、それでも黙って玄関を出て行きました。

「いってきます」という言葉は、少しだけ不思議な発音になることもあります。

私は「いってらっしゃい」と言って、ドアを閉めます。

帰ってきたら、ぎゅっと抱きしめます。

「よくがんばったね」とは言わなくていい。
ただ抱きしめるだけで、「あなたのがんばりを、わかっているよ」が伝わる気がしています。

発音が少しずつ整ってきた。
苦手だった給食を、以前より食べられるようになった。
毎朝、自分でランドセルを背負って出かけていく。

そういう変化に気づいて、言葉にしてあげること。
120%でふんばっている子を、ぎゅっと抱きしめること。
これは親にしかできないことだと、今は思っています。

学校の先生や療育の先生に情報を渡すのも大切です。
でも、「わかっているよ」を身体で伝えてあげることは、親にだけできることです。

うちの次女は、「みんな」と同じじゃない。

でも、どんな結果でも隣にいて、抱きしめてあげられる。
それは、どの親も同じだと思っています。

お子さんの「見えにくい困難」を、学校や周りの人にどう伝えていますか?
うまくいかなかったこと、少し伝わった実感があった方法——よかったら、コメントで教えてください。

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