「この子、何を考えているんだろう」
そう思ったことのあるお母さん、いませんか。
私は長女に対して、何度もそう思いながら、そのたびにイライラして、自分を責めていました。
結論から言うと
子どもを「他人」と認識することって、薄情なことじゃないんです。
むしろ、お互いが楽になるための、一種の「覚悟」 だと私は思っています。
「わかってあげられない」という疲弊
あるとき、カウンセラーに相談したことがあります。
「子どもの気持ちを理解したい。でも何を考えているかわからない。だからイライラしてしまって…」
自分でもうまく言葉にできていなかったけれど、そのまま話しました。
ASDのある長女は、感情を言語化するのが難しい特性があります。
パニックになっても、「何がイヤだったの?」と聞いてもうまく答えられない。
「もっとわかってあげなければ」と必死になるほど、空振りして、また自分を責めて。
そのループが、正直ずっとしんどかったんです。
カウンセラーに言われた、ちょっと意外な話
そのとき、カウンセラーにこう言われました。
「お母さんは、お腹を痛めて産んだ分だけ、子どもに同調を求めやすいんですよ」
最初、ドキッとしました。
確かに「産んだ私が一番わかってあげないと」という思い、あったんです。
後から調べてみると、心理学的にも「母親が子どもを自分の一部のように感じやすい心理構造がある」というのは語られているそうで。
ただ、ASDのある子の場合は、同調しようとしても、うまくいかないことが多いとも言われています。
わかってあげようとするほど、わからなさが際立っていく。まさにそれでした。
アドラー心理学の「課題の分離」で、腑に落ちた
カウンセラーとの話の中で、もうひとつ出てきたのが「課題の分離」という考え方でした。
アドラー心理学の言葉で、「その課題は、誰のものか」を問い直すものです。
「子どもの悩みは、子どものもの。お母さんが全部背負わなくていい」
最初は「冷たいな」と思いました。
でも、少しずつ意味がわかってきた。
この子は、私のお腹から生まれたけれど、私とは違うOSを持って生まれてきた別の人間です。
感じ方が違う。反応が違う。それは、私の失敗でも、育て方のせいでもない。
「わからなくて当然」と思えた瞬間に、不思議と肩の力が抜けました。
私が楽しんでいると、この子も穏やかになる
もうひとつ、実感していることがあります。
私がイライラしている日は、長女もなぜかざわついている。
逆に、私が機嫌よく過ごしている日は、長女も落ち着いていることが多いんです。
最初は偶然かと思っていましたが、これは心理学的にも根拠のあることだそうで。
「情動伝染」と言って、親の感情は言葉よりも先に、声のトーンや雰囲気を通して子どもに伝わるそうです。
ASDのある子は「空気感」に敏感で、親の緊張やイライラを敏感に察知するとも言われています。
うまく言葉にはできなくても、感じ取っているんですね。
「子どものためにがんばらなきゃ」より、「私が楽しんでいることが、この子への一番の贈り物かもしれない」。
そう思えるようになってから、家の中がずいぶん静かになりました。
「覚悟」は、手放すことじゃない
「子どもを他人と思う」というと、突き放すイメージがあるかもしれません。
でも、私が感じたのはそれとは少し違って。
「完全に理解できなくてもいい」と認めることで、一緒にいることへの怖さが消えたんです。
わからないなりに、隣にいる。
それで十分なのかもしれない、と今は思っています。
同じような気持ちで疲れているお母さんに、少しでも届いたら嬉しいです。
記事執筆・自動化ツール、お気軽にご相談ください
ブログ記事のライティングや、GAS・Pythonを使った小さな自動化ツールの制作もお受けしています。まずは気軽にメッセージをどうぞ。
ココナラで相談する →